2018年は地獄の1年だった

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自分の2018年を振り返るただの日記。

1月はひらがなけやきの武道館3Daysに行った。
火〜木までの平日ど真ん中だったが、長期休暇をとって3日間全通した。
雪が降ったり寒かったりで大変だったが、オタクの仲間と3日間走り抜けられたのが楽しかった。
毎日生写真ガチャをして、暖かい武道館地下の喫茶店でトレードしたり整理したりするのが幸せだった。

2月。ここから12年に2年間の天中殺に入る。
思えば、確かにここから人生はおかしくなっていった気がする。

3月。2年間付き合っていた彼女と同棲するために、部屋を探す。
彼女は北海道に住んでいて遠距離だったのだが、東京に来て一緒に内覧に行った。
部屋数や街など、お互いの主張がぶつかり、あまり気持ちよくなく部屋を決めた。
彼女はほぼずっと実家に住んでいた子で、2人で3LDKでも収納が不安と言い出して、この子大丈夫かよ思った。

結局、僕が個人の部屋を欲しい派だったので、前と同じ立川の3LDKの部屋にした。
彼女はまだ北海道で仕事をしていたので、とりあえずは僕だけが引っ越した。
しかし、このときはもう天中殺。引っ越しはご法度なのは知っていたが、まあ大丈夫だろと軽く見ていた。

この辺から、Idol Factoryというwebサービスの作成を始めた。
開発をしているのは前に進んでいる感じがして楽しかった。

4月は欅坂の2周年アニバーサリーライブがあり、地方のオタク仲間がうちに泊まって、一緒にライブに行った。
このときはまだ彼女は引っ越してきていなかった。
オタクしてるときは楽しかった。
ここまでが、今までの人生の続きという感じ。

4月中旬、彼女が引っ越してきて、一緒に住み始めた。
ここからが次の人生のスタートという感じ。
今までと全く別の世界になった。

まず、人と一緒に住んでいるという状態に心が休まらず、とてつもなくストレスが溜まった。
さらに、彼女は東京ですぐ仕事につかず、家にずっといる状態となった。
あまり東京に友達もおらず、1人で遊びに行くタイプでもないため、絡む相手はほぼ僕だけだった。
土日も、いつも通り1人でコワーキングスペースに行こうとすると、どこかにお出掛けしたかったらしく、険悪になった。
僕は、自由にどこかに行き、好きな活動をすることもできなくなった。

今思えば、同棲したらそうなって当たり前のことだ。
だが、大甘ちゃんだった僕は、そういうことを全く考えておらず、半ばノリで同棲し始めてしまった。

4・5月は、Idol Factoryのコーディングもゴリゴリ行っていた。
Railsのスキルアップが目的であったのと、小さなサービスをたくさん作り、いつか独立するのを夢見ていた。
完全に普通の人とは違った人生観をもって生きていたのだ。

しかし、彼女は違った。
同棲して1ヶ月ぐらいで結婚の話しと、子供の話しが出てきた。
僕はそのとき28歳で、彼女は3つ上の31歳。
そんな話しが出てきても全くおかしくない年齢だ。

だが、僕は上述したとおり夢追い人で、中身は大学生のままで生きていた。(今もだけど)
結婚はするだろうと思っていたが、子供はすぐには欲しくないなと思っていた。
子供1人には2000万円ほどかかるというし、とても独立なんてできなくなると思っていたから。

そんな中で、彼女に子供が産める年齢リミットがあると言われる。
35歳を超えると、出産にはリスクがあるのだそうだ。
無知だった僕はもちろん悪いが、付き合ってた2年間で1度も子供の話しなんてしたことなかったのに、同棲した途端し始めるのもズルいと思った。
そのことを彼女に言ったら、同棲する前に話しをしたら「じゃあ同棲やめよう」と言われると思ったとのこと。
僕が悪いのは大前提として、逃げ道がなくなってから言うのもズルいなと思った。

6月ごろ。やりたいことと、彼女のプレッシャーとの間で、僕はおかしくなってきていた。
昼は心臓がバクバクして、頭はそのことばかりで、仕事が手に付かない。
デスクではPCのファイルをただ開いたり閉じたりして、会議でも何の話しをしているのかわからなくなり、頭に入ってこない。
ずっと冷や汗をかいていて、呼吸も浅い。
定時になると、逃げるように会社を出て、電車に乗らずに家まで1時間以上歩いて帰っていた。
すぐに家に帰りたくなかった。

夜は寝れなくなり、1日1時間ちょっと寝れれば良い方。
寝れない時間はずっとスマホアプリでメダルゲームをしていた。
ずっと起きたまま、そのまま仕事に行く感じ。地獄だった。

もうどうしようもなくなり、立川のメンタルクリニックに行ってしまった。
友達にそういう病院に行っている人はいたが、自分には一生関係ない世界だと思っていた。
そこでデパスや睡眠薬を処方してもらった。
自分が完全に精神病になったようで、とてもショックだった。

デパスを飲むと、安らいで眠りにつけた。しかし数時間ですぐ目が覚めた。
仕事中も、頭がいっぱいになって仕事ができなくなると、デパスを飲んだ。
そうすると、全てを支配していた不安がどこかに行ってしまい、そこから2・3時間は仕事ができた。
神の薬かと思った。
1粒だと多いような気がしたので、家で包丁で半分に割って、それをティッシュに包んで持ち運び、飲んでいた。
だが、精神薬に依存するのはとても怖かった。
依存症になってしまえば、それこそ本当に一生精神障害者になってしまう気がした。

それでもIdol Factoryの開発はなんとか続けていて、本番リリースはできた。
だが、あまり嬉しさや達成感は感じなかった。
とても疲れた感じがしていた。

このままでは自分は本当におかしくなり、ともすると死ぬことも考えるのではないかと思い、ついに別れを切り出した。
しかし、彼女も簡単には承諾してくれず、何度も何度も夜に衝突して、そしてまた精神と心臓がおかしくなった。
7月、彼女も僕がもう変わらないことが分かったのか、家を出ていくと言った。
本当に申し訳なさすぎて、また死にたくなった。
4ヶ月一緒に住んだので、彼女が家にいることは当たり前になっていた。
彼女が家から居なくなった日、本気で涙が出た。

まあでも、こんなこと書くのも、自分を悲劇の主人公にして、許されたいからだろうな。
ダメだね。
でも1年に1回だけの振り返りだから書かざるを得ない。

本当の地獄はここからだった。
そこから、精神は完全にバグっていて、毎日死ぬことを考えていた。
彼女が出ていったのに、なぜ精神が変わらなかったかというと、別の不安にとらわれ始めたからだ。
僕は29歳になっており、自分はこのまま適齢期を逃してしまい、一生独り身で生きていかければならないことに対してだ。
今思うと、結婚に躊躇したから別れたのに、別れたら結婚できないことを悩んでいたとか、頭がおかしい。
というか、別れた彼女にあんなにひどい仕打ちをしておいて、自分の利益のことしか考えてなくて、本当にありえないと思う。
このときの自分は、本当にクソ野郎だったと思う。
最低のクソ野郎だ。

そこから、本をしこたま読むようになった。
哲学や心理学、生き方、宗教の本など、50冊以上は読み漁ったと思う。
読んで読んで読んで、自分なりの生き方を模索していった。
でも、読んでも読んでも、死にたさがいっぱいで朝目が覚める。
その繰り返し。

8〜12月までずっとそうやって生きてきた。
精神がバグってからは欅坂のイベントにも全く参加できなくなったし、趣味の開発なんかもできなくなった。

でもその結果、僕は自分の生き方を削り出せた気がする。
自分の真実を生きること。
意志。愛。涅槃。
まだ作った哲学を実践中で、また磨きながら、習得しながら生きていく。
知るのは容易いけど、実践するのは難しい。
人様にお見せ出来るようなものではないが、大甘ちゃんの子供脳の僕でも得ることができた哲学をいつか書いてみたい。

そんな僕にも、12月の終わりに新しい彼女ができた。
まだ結婚については躊躇していたので、また同じ過ちを侵さぬよう、自分の真実を生きるよう、断ろうと思っていた。
そのことを正直に話したら、「そういうもんじゃない?」とその子は言った。
それでも迷ったが、結果的には付き合うことになった。
精神がバグるとこまで追い込まれた自分と付き合いたいと思ってくれたことが、不思議な感じがして、素直に嬉しかった。
そこまでほぼ世捨て人のような精神状態だった自分にも、まだこんな普通の恋愛ができるんだということにとても驚いた。
未来はどうなるかわからないけど、今はこの彼女を大切にしたい。

2019年は、必死に勉強して、個人事業と投資を育てていく。
天中殺を抜けたときに独立できるように、1日1日を大切にして、進んでいく。

坂道を、登り続けていく。
僕は、そうでしか生きられない。


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