こんなに豊かな世の中でなぜ幸せな人が少ないのか

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社会人として満員電車に乗っていたり、会社までの道を歩いていたりすると、周りの人はとても暗い顔をしている。
電車でキレている人がいて、駅では人にぶつかって押しのけてでも先に行こうとする人が結構いる。
みんなイライラしてたり、疲弊しているように見える。
とても幸せそうには見えない。

僕もその中の1人だ。

現代って、戦時中から比べたら比較にならないほど豊かで、平和だ。
戦争中に尊い命を犠牲にして勝ち取った、死んでいった人達が夢見た理想郷だ。

数十年前では考えられないようなスマホなんていう超ハイテク機械をみんなが持っていて、
インターネットとかいう夢の技術を寝起きでぽちーっと使える。
昔は村や街の人との交流が世界の全てだったのに、SNSで適当に日本中の人といきなり会話できる。
中古車なら安く買えて、テレビや家電なんかもちょっとバイトすれば買える。

生活保護があるから、貧困でご飯が食べられなくて餓死なんてこともない。(注:求めれば)
戦前、明治、江戸なんて時代と比べて、それって超絶豊かな世界なんだよな。

でもみんな幸せそうじゃない。
それってなんでなのか。

一つは、豊かさと幸福さは関係ないってこと。
幸福になる心持ちなら、豊かでも豊かじゃなくても幸福だし、
幸福にならない心持ちなら、豊かでも豊かじゃなくても幸福じゃない。

世界がデジタルでハイテクで高性能に進化していっても、人間は全く進化していないのだ。
昭和のポケベルに比べて、平成のスマホはスーパー高機能だが、持っている人間は別に能力が上がったわけない。

豊かな世界でも、豊かじゃない世界でも、精神世界でやることは一緒なのだ。
もっといえば、同じ国で豊かな人も豊かじゃない人も、先進国でイージーに暮らしている人もアフリカでゴミ漁りしている人も、精神的にやるべきことは一緒なんだと思う。

これは、FXの世界で10万円を11万円にするのも、10億円を11億円にするのもやるプロセスは全く一緒なのと似ている。

どんなに周りが進化しても、どこまでいっても人間はただのアナログな有機物で、進化していないのだ。

2500年前に釈迦が悩んで答えを出したものと、全く同じ悩みを2500年後に持って、ともすれば自分で答えを編み出そうとしているのだ。
学べるところは学んでしまえばいい。
僕たちは今、過去の偉人たちが色々と考えてきたことで、人類の歴史上一番「知の最先端」にいるのだ。
 
 
二つ目は、やりたいことやってないからじゃないかな。

僕自身、やりたくもない仕事をお金のためにかれこれ5年ほどやっているが、5年やっても仕事から幸せを得られるようにはならなかった。
こんなに豊かな世の中で、みんながお金のためにやりたくないことをやって、通勤でイライラして、スーツ着て、人生を浪費しているのだ。

新卒の新人さんとかが入ってくると、恐ろしくなるときがある。
この子達は、20代の最高に貴重な時間を、たかだか金のためにこんなにつまらないことに何年も費やしてしまうんだと思ってしまう。
金なんて、死んでしまえばどっちだって一緒なのに。

だから、みんなやりたいことやった方がいい。
ただ、そこは需要と供給があるから、みんながみんなやりたいことが出来るわけじゃないけど、出来るチャンスがあるならやった方が良いと思う。

もちろん生きていかなきゃいけないから、金のためにもやりたくないこともやらないといけない。
だから僕は5年もくすぶり続けたまま仕事を辞められていない。

だからこそ、みんながやりたいことやって生きていける世界を作りたい。
 
 
急に書きたくなって書いてみた。


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