ぶっ飛んだメンタリティの奴はぶっ飛んで生きていけばいいんじゃないか

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いわゆる「普通の生き方」というのがある。

大学卒業して、安定した会社員や公務員になったりして、週5日働いて、結婚して、子供2人くらい作って、35年ローンで家買って、車買って、幸せな家庭を築きながら、特にやりたい仕事ではないけど、給料は良いし安定してるから定年まで働き続けて、老後は退職金と年金で旅行でもしながら、わりと豊かに暮らして、孫が来てくれるのを楽しみにする。

これは、確かに幸せなんだと思う。

今まで「普通」といわれてきたそういう生き方を、すっと受け入れられて、そのままの道を辿れて、幸せを感じられる人達。
いうなれば、「普通のメンタリティ」の人達。
自分で納得感があるなら、それは絶対に幸せだと思う。

平成30年の今なら、まだその生き方が日本社会の常識のメインストリームなので、そこに乗っちゃえるなら、それでいいと思う。
盲目的にそれを受け入れても抵抗がない場合は。
その「道筋」、もしくは「レール」にただ乗っかってしまえばいいのだから、こんな簡単なことはない。

ただ、そう生きられない人達もいる。

その「普通の生き方」がとても幸せとは感じられず、「自分の生きたい生き方」をしたいと本能的に(もしくは魂レベルで)感じてしまう人達。

自由に生きたい。
夢を叶えたい。
好きなことをしたい。
大金を稼ぎたい。
起業したい。
アーティストになりたい。
大好きな趣味を一番にやっていきたい。
海外に移住して暮らしたい。
世界を旅して生きていきたい。

そういう、「社会の常識」から考えれば、はみ出したマインドの人達。
良く言えば「ハイマインド」な人達。
悪く言えば「ぶっ飛んだメンタリティ」の人達。
「バグったメンタリティ」の人達。

遊んでるんだろ。
いい歳なんだからしっかりしなさい。
そろそろ結婚して安定しないとダメだ。
ひとつの会社を勤め上げるのが当たり前だ。

そうやって、時々刻々と「社会」から(もっとちゃんといえば親や親戚や会社の人や友達から)、「当たり前の生き方」をぶつけられて押しつぶされそうになっている人達。

僕がそうなのだが、「ぶっ飛んだメンタリティ」なのに、「普通の生き方」をしなきゃと思って、死ぬほど苦しむ人達がいる。

ぶっちゃけ、「ぶっ飛んだメンタリティ」の「ぶっ飛んだ生き方」は、幸せになれる確率は低いと思う。
夢で有名になれる確率なんて米粒ほどしかないだろうし、大金を稼ごうとしてレバレッジをかけて借金地獄になることもあるだろうし、結婚しなかった結果孤独な人生かもしれないし、仕事がなくて貧困にあえぐことになるかもしれない。
「普通の生き方」の視点から見れば、しんどい生き方だと思う。
ハードモードな生き方だ。

これはしんどい。
周りからのプレッシャー、ほんとに自分はこれでいんだろうかという葛藤、いつまでも結果の出ない自分。
でも、そこから周りに合わせて、「普通の生き方」に切り替えて、「ぶっ飛んだメンタリティ」を押し殺して生きていきたい気もしない。
はっきりした知覚はないかもしれないが、なんとなくそう感じる。
「普通の生き方」はやっぱりスッと入ってこない。
でも、ちゃんともしないと。。

僕はもう、そのまま生きていくしかないと思うしかないと思う。

ぶっ飛んだ生き方は、多分不幸だ。

普通に生きられるなら、普通に幸せになったほうが良い。

でも、そう生きられない「ぶっ飛んだメンタリティ」で生まれてしまったなら、もうしゃあない。
普通の幸せは手に入れられないかもしれない。

だけど、「ぶっ飛んだメンタリティ」の「ぶっ飛んだ生き方」だからこそ、見れる景色があると思う。
普通の生き方をしてる人ではとても成し遂げられないことがあるから、そう生まれてきたのかもしれない。

普通の幸せは得られなくても、普通の人には見られない景色を見ていけばいい。

最後はボロボロになって、ひとりで野垂れ死にだったとしてもね。

それでも、自分のまま、自分の生き方を通せたならかっこいいじゃん。

バンドマンは、死ぬまでプロを目指し続ければいいんじゃないのか。
世界を旅して生きたければすればいいし、フランスに移住したいならすればいい。
サラリーマンとして生きられないなら、一生成功しなくても、一生起業を目指し続ければいい。
やりたいことがあるなら目指し続ければいいし、好きすぎる趣味があるならやり続ければいい。

それは多分不幸な生き方だけど、だからこそ、僕らにしか見れない景色がきっとあるんだ。


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