結婚は東洋思想的に無理があるんじゃないかと思ってきた

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最近、禅をはじめとする、仏教、東洋思想の本を読み漁っている。

その考え方の中では、かの有名な、「諸行無常」ということが説かれる。
諸行無常。
よく聞く言葉だ。

その意味は今更書くほどのでもないが、「全てのものは移ろい、一定であることはない」ということだ。
人も、命も、物も、自然も、宇宙も。
いつでも移ろい、形を変え、変化し続けている。

それは特定の何かがではなく、全てのものだ。
万物。森羅万象。もれなく、ずっと同じものはなく、変化し続けている。

人は生まれ、老い、病になり、死んでいく。

そして、死んだ人間は魂となり、輪廻転生し、また生まれてくる。

死んだら魂になるというのは違うかな。
もともとが、魂というエネルギー体であり、生まれるときに肉体をまとって生まれてきて、また魂に戻るって方がしっくりくる。
エネルギーを「波動」って解釈している本もある。
 
 
まあ、上記のように、人間や、宇宙ですら一定ではなく、変化していく。
それが理であり、「そういうこと」なのだ。

とすれば、人の心というものも、当然移り変わるものだ。
宇宙だって移り変わるんだから、人の心ぐらい変わって当たり前だ。

それなのに、結婚というのは「永遠の愛」を誓うのだ。
永遠に変わらない愛。
死ぬまで何十年と変わらない愛を宣言するんだ。

僕は2週間前に同棲をやめたばっかりで、この考え方が今は怖い。
一生を誓っても、いつか心が変わると思ってしまい、次に結婚しようという気持ちにいけない。
これが、別れたばっかりだからなのかは、わからない。

堀江貴文氏の『本音で生きる』にも書いてあったが、ぶっちゃけ結婚している人の半分ぐらいは
別れたいと思っているのではないか。
色んな面倒臭さや、経済面、世間体、しがらみのため、なんとなく続けているだけの人達も多い気がする。

「永遠」なんてものは無いんだと思う。
それが世の理だから。
だから、結婚っていうのは世の理から外れた制度な気がしている。

そんな結論に達してしまった。
 
 
でも、結婚したいと思ったときに、その人を「愛」していることは確かだと思う。

その後、その愛が移り変わるかもしれなくても、そのとき、その愛は本物であり、
愛は幸せそのものだと思う。

だから、その勢いで結婚しちゃうってのもアリなんだとも思う。

そして、気持ちが変わったら離婚しちゃえばいいんだと思う。
だって、心が移り変わるかもしれないんだから。

それを、近世〜現代の日本では悪い事とされ、離婚することは不幸であり、その思想のために苦しむ。
でも、それは実は「世間一般」という謎の集合体が作った、世の理と外れた考え方な気がする。

全ては移ろい変化していくのだから、心が変わってしまうのは悪いことじゃないんだ。
むしろ、それが正しい状態なんだ。

だから、離婚をネガティブなものと捉えずに、変わった心がそのとき求める、新しい「愛」に出逢えばいいんじゃないか。

ここで言っている「愛」っていうのは、「さっさと忘れて次の恋人見つけよう」なんていう小さい話しじゃない。
それも1つではあるんだけど、「自分の好きな活動」であったり、「夢」であったり、「友達」だったり、「動物」であったり、「持ち物」であったり、「家」だったり、「自然」であったり、「他人全員」であったり、「自分」であったり、
「何かへの愛」ということだ。

幸せというのは、ただ結婚しているかどうかではなく、「何かへの愛」というのが全てだという気がする。
その対象は、何も人間の、特定の異性だけではないのだ。

これも、石田ゆり子さんのLilyを読んだから思ったことだという気がする。
特定の異性がいるということを超えて、生活や、家、食器、家具、本、ペット、仕事の尊敬する先輩、そういうものを愛していることがひしひしと伝わってきて、凄まじい幸福感に包まれていた。
 
 
やばいなこれ。
ここまでを読み返すと、完全に「こじらせている」と自分でも思う思想に行き着いてしまった。

でもやっぱり、「結婚したいと思うほど好きな人」に出会えたら結婚したいかな。
結婚した先のことはわかんないけどね。

ようは、移り変わる未来のことは案じてもしゃあない。
だから、今結婚したければすればいいし、したくなければしなくてもいいってことかな。
 
 
今、結婚してなくて苦しんでいる人、結婚したけど苦しんでいる人、
どちらも楽になれますように。


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