古典部シリーズのいぶし銀 – 米澤穂信『遠まわりする雛』感想

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★★★★☆

大好きな古典部シリーズの4作目、読み終わりました。

本作はシリーズの中でも初めての短篇集となっています。
そのため、ド派手な展開などがあるのではなく、じわっと味のある内容となってます。
例えるならいぶし銀って感じです。

しかも、ただ短篇集なのではなく、入学してから1年目の冬までの、様々な時間を切り取ったストーリーが盛り込まれています。
そのため、米澤先生もあとがきで仰っていましたが、古典部メンバーの心の移り変わりや、距離感の変わり方が感じ取れます。

最初は、古典部を創設してすぐの話で、まだ奉太郎がえるの性格や扱い方をよく分かっていません。
そのため、なんとなくギクシャクしたやりとりをします。
この、微妙に気まずい感じが、青春っぽくて良いですね。

そして、「大罪を犯す」や「正体見たり」あたりになってくると、かなりお互いに慣れてきたんだなって感じが分かります。
会話が慣れた感じになり、それぞれのキャラ分けも認識できている気がします。
こういう、距離感の変化が面白い。
だんだん仲良くなっていく過程を、俯瞰で見れることってなかなかないので。

他にも、奉太郎や里志が硬派なのも青春っぽくていいです。
「遠まわりする雛」の最後で、奉太郎はえるに「自分が経営をやってやる」ってのを言えずに終わります。
また、里志は摩耶花の告白に対し、適当に付き合うんじゃなくて本当に摩耶花のためになるか考えます。
こういう真剣さが良いです。

例えば、奉太郎が軽い感じで千反田家の経営を申出たり、里志が「とりあえず付き合ってみっか」って感じで摩耶花と付き合っていたらどうか。
これは全く高ぶりません。
やっぱり硬派だからこそ、距離感が一気に縮まらず、色んな葛藤が生まれるんだと思います。
それでこそ青春です。
その微妙なギクシャク感を見ていてニヤニヤします。
まあキャラクター本人たちは苦しんでるんですけどね。
それを見て楽しむってのは、なんだか悪い事をしているような気もします。でもやっぱり面白い。
青春は俯瞰で見るからこそ、認識できるのかもしれませんね。

あとは、田舎で生き続けることの切なさも描かれてて胸を打たれました。
えるは、豪農として街を仕切っている千反田家の娘としての使命を受け入れてます。
あんなに若い子なら、普通は自分の夢とかあるでしょう。
芸能人になりたいとか大げさなものじゃなくても、都会に出てみたいとか、◯◯の職業に就きたいとか。
でも、名家の一人娘ではそれは出来ません。
家を存続させるために、きっと婿をもらって家に残らなければならないでしょう。
そして、産まれた街で一生過ごさなくてはならないのです。

その切なさってのを、えるは理解した上で、飲み込んでいるんだと思います。
奉太郎に自分の街を紹介する時、良くも悪くも言わないんですよね。
これって、自分がその街を好きだろうが嫌いだろうが、結果は変わらないんだっていう諦めなのかなって思います。
どっちにしろそこに残り、そこで生き続けなければならないんですから。

でも、諦めだけでなく、前向きな決意も感じられます。
地元に残らなきゃいけない切なさを理解した上で、そこで生きていく静かな決意を感じます。
駄々をこねず、受け入れられるところがえるのすごい所です。

そうやって地に足を付けて生きているから、生き雛を任せられるほどみんなに好かれているのかなって思います。
世界中を飛び回る生き方もいいですが、地に足を付けて生きたほうが、人との絆は深く出来るのかなって思いました。

そういう意味では、えるの生き方と、折木姉の生き方は対局にありますよね。
その辺は、また今度考えてみたいと思います。

とりあえず、次はついに5巻です!
ここからはアニメでやっていない話しなので、胸が高鳴ります。

では!


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